No.148 近畿連合10人委員会開催される at Amagasaki
■ 5月4日、尼崎市で近畿連合10人委員会が開催された。各団体から9名+新通2名の計11名が参加した。議案は、① 20年度PR事業後期分の企画案審議 ② 5月18日開催の近畿連合総会次第の確認 ③ 20年度近畿連合事業計画+予算の原案審議 であった。
■ PR企画の内容は、① 10分間のそろばん番組を12回放送(10~12月) ② 20秒CMを110本放送(1~3月) ③ 日曜出前中継5分間×2回(1月+3月) ④ ありがとう浜村淳です・・プレゼントパブリシティ5日間(1~2月)というラインアップである。
■ 20年度の近畿連合予算は約1400万円で、近畿2府4県の3団体構成員1260名からの各人1万円ずつの醵金が原資の大本になっている。
年間拠出金を2万円程度に出来れば、PR展開も劇的な効果の拡大につながる内容に進化することが発案されたが、構成員の意識の変革が前提として必要になる。
■近世に入り、大坂が江戸幕府の西国支配の最重要拠点となり、その西に位置する尼崎は、軍事上大坂守備の西の要として重要視された。幕府は1617年に譜代大名戸田氏鉄を尼崎に配置し、4層天主の近代城郭を築城させた。築城に合わせて、中世から尼崎町に散在した寺院を城の西域に集め寺町を構成した。
■約3.9ヘクタールの地域に11か寺が軒を連ね、江戸時代の雰囲気を色濃く残している。江戸初期から各地で城郭が建設されるに伴い、寺院を1箇所に集めることが流行したが、軍事的な意味合いと宗教政策的な目的をもっての施策であった。特に、広大な敷地を持つ寺院は非常時には出城としての機能が期待されていた。
■ 尼崎城は約13万平方メートルの広大な敷地に4重の天守閣を持ち、城の東西に町場が整備され、東は大物から西は貴布祢神社までが城下町であった。特に、寺町は阪神・淡路百名所に指定されている。また、23件の国・県・市の指定文化財がある。
なお、寺町の南側に武家屋敷町が配置されていた。当初5万石であったが、後に4万石となった。武家の数は200名弱。寺町の寺院数は江戸初期には20か寺が絵図に描かれている。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント